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沖縄自治研究会

沖縄自治研究会

大城報告

第4回研究会
1.マルタ共和国の独立と経済的自立: 大城肇(琉球大学教授)
2.太平洋島嶼国家・地域の独立と自立: 松島泰勝(東海大学助教授)
日時 平成16年7月24日(土)
場所:琉球大学


○島袋純 氏  ……私と佐藤学先生と江上能義先生で構成されていまして、その勉強会ということで、今回は「島嶼国家・地域の独立と自立」ということで、マルタに行っておられた大城肇先生、アジア太平洋島嶼研究センターの今、所長でもあります。
 そして、もう一方は松島泰勝。パラオのほうに外務省の嘱託研究員として滞在されまして、現在は東海大学で海洋学部のほうで助教授をされて、島嶼研究に打ち込んでおられます。きょうはこの2人の先生方、それぞれお1人1時間程度の報告を行い、その後、1時間半ぐらい質疑応答ということでやっていきたいと思います。
 では、大城先生からよろしくお願いします。


○大城肇 氏  ただ今、ご紹介いただきました、琉大で島嶼経済を研究しております大城です。自治については全くの素人でして、島袋先生から独立と自治の話をしてくれと言われて、どうしようかと思っていましたが、十分準備もできていませんが、後で討論があるそうですので、きょうは皆さんからいろいろ問題指摘をしていただければありがたいと思っています。それでは、3時ごろまでで終わるようにします。

 まず、マルタの話をやります。ご承知だと思いますが、マルタについてはいろんな呼び方がありまして、地中海のへそとか、あるいはヨーロッパとアフリカの飛び石、ステップストーンになっているという言い方をしております。いずれにしても、普通の地図帳には載っていないような、地中海の中のミニ島嶼国家であります。正式にはマルタ共和国といいますが、歴史は後でお話ししたいと思います。

 北緯35度ですので、長野県と同じくらいの緯度に相当したと思います。西経が14度。正確には10分30秒からということになります。面積は本当に小さくて315.6k平方メートルです。

 人が住んでいる有人島は3つあります。あと2つ無人島がありますが、すごく小さい国です。有人島がマルタ、ゴゾ、コミノの3島、あとコミノットとフィルフラという無人島があって、島をどう数えるかにもよりますが、私はマルタ国の島はこの5つとみています。

 マルタ島の大きさは、石垣島より少し大きいぐらいです。石垣は222k平方メートルぐらいでしたか。ゴゾ島が北部の伊平屋、伊是名、伊江島、それから屋我地、古宇利島、これだけ足したら出てくるぐらいになります。コミノットという島は、宮古の来間島と同じぐらいです。マルタ国の面積は、西表島と与那国を足したものより少し小さいです。ですから、沖縄本島の那覇から南の部分ぐらいかなというふうに思っています。非常に小さいということです。

 地図では、ここです。これはイタリア半島で、これはシシリーです。これがマルタ共和国で、下のちょっと大きいところがマルタ島。上がゴゾというところです。こちらはサルデニアです。これはイタリアのもので、これがコルシカです。大体こういう形、位置図にあるということで、中央地中海に位置している。このへんヨーロッパとアフリカのちょうど中間にあります。シシリーとの間が約90キロメートル、チュニジアとの間が290キロメートルぐらいだということです。

 マルタの気候は典型的な地中海式気候で、夏はもちろん暑いですが、秋から冬にかけては温暖で、冬はちょっと北風が冷たいというのがありますが、平均気温が18度ぐらいです。ただ、降水量はものすごく少なくて、私が行っていたときの平均降水量が大体650ミリメートルぐらい。沖縄が2,000ミリメートルぐらいですから、約3分の1ということで、水がちょっと問題になっています。

 地図はこうです。これがマルタ島です。これはコミノ島、こちらは人口が統計では10名ぐらいだということになっていますけど、観光客が多くて、だれが住民かどうかわからない。これがゴゾ島で、人口は約3万人弱です。

 こういった位置をしておりますが、ちょっとこれ余談ですけど、私が住んでいたフラットの上から撮った写真ですが、これは水タンクです。随分前、国際会議のエクスカーションでずっと南部一周したときに、糸満のところでバスのガイドさんが、「右を見てください。屋根の上を見てください。水タンクは沖縄の特徴です。」とか、そんなことを言っていましたが、やっぱり水のないところは、タンクで貯水する工夫がされています。この写真は違うところですが、去年、台湾の馬祖列島に行ったときのものです。馬祖の降水量は沖縄の半分ぐらいで少ないですが、やっぱり似たようなことをしている。ですから、生活の智恵というのはどこでも一緒である思っています。これはちょっと余談でしたが。

 マルタでは実際に地下水を汲み上げて、こちらが畑ですが、農業用水に使っています。風車による水灌漑というのは、シシリーへ行ってもありましたし、地中海ではよく見られる風景かと思います。

 マルタの歴史をざっと拾ってみましょう。最近テレビを見ていましたら、5000年ぐらい前の海中の遺跡が見つかったという話があって、巨石文化がどうもBC3000年から5000年頃にできたのではないかという解説をしておりました。ストーンヘンジよりも古いのではないかということです。

 マルタの歴史は、ローマ帝国に支配されたり、あるいはビザンチン・イスラムの支配下にあったり、あるいはノルマンディの支配に陥ったり、スペインの支配があったり、地理的な立地からいろんな国の支配に翻弄されてきたというところです。1530年にマルタ騎士団というのを結成して、この頃になると特にオスマントルコあたりとの決戦を、このマルタ騎士団がやったようです。その後にフランスが支配しております。これは1798年ナポレオンの頃です。せいぜい1年ちょっとの支配でした。イギリスとフランスのナポレオン戦争に入って、それが済んで以降はイギリスが支配していきます。そして、1964年9月21日、これはナショナルホリデーになっていますが、そのときにイギリスから独立しております。

 ざっと歴史的にはこうですが、巨石文化というのがあって、人の高さが十分入れるぐらいの遺跡が島に幾つかあります。見た感じはそんなに大きいという感じはしませんが、地元の人から見ると、非常に誇りを持っております。テンプルと呼んでいます。この中にこの写真のような唐草模様みたいなのがあったりして、ちょっと懐かしい感じがしました。

 独立後のマルタについて、ちょっとみてみましょう。64年9月21日に独立しております。独立したときの憲法に立憲君主制をとることを規定しています。もちろん議会は一院制でした。70年に当時のECの準メンバーに加わっています。そして、独立して10年後に憲法を改正して、共和国になっております。

 独立してもしばらく英国軍が駐留していて、完全に撤退したのが79年ということになっています。ですから、その間はいわゆる基地経済的なところがありました。軍事経済から脱却して、89年12月にはご承知の冷戦終結宣言の地になっております。そして、ことし(2005年)の5月1日、EUに加盟しております。昨年の国民投票の結果を見ますと、53.6%、これは賛成票ですが、圧倒的多数ということではなかったのですが、かろうじて過半数をとってEUに加盟するということをやっております。

 現在のマルタは2大政党制であり、労働党と国民党というのがあって、ほぼ半々だと言われています。現在は国民党の政権にありますが、EU加盟賛否の国民投票も半分ぐらいということで、マルタの特徴が出ていると思っています。

 国旗は写真の通りです。赤と白の地で、これがマルタ騎士団の勲章だそうですが、十字を付けて、これが国旗ということになっています。

 さっきの話を繰り返しますが、64年で立憲君主制の国づくりをして、74年に憲法改正して共和制になってから、大統領を国のトップに置いているわけですが、大統領は普通選挙で選ばれる議会によって、任命されています。

 この写真は首都のバレッタですが、人口は約38万人。人口密度はものすごく高くて、写真に写っている人のほとんどは観光客ですが、島のどこへ行っても人間がいるという感じがします。

 これが冷戦終結の碑の写真です。皆さんに見ていただこうと思って撮りま
した。碑文がこっちに撮ってあります。碑銘をみてみましょう。ジョージ・ブッシュとミハエル・ゴルバチョフ、1989年12月23日。この文字はマルタ語です。英語ではエンド・オブ・ザ・コールド・ウオーとなっています。これはロシア語ですね。私の高さが大体これぐらいですから、かなり高い記念碑です。実際、この地ではなくて、この沖で開催したようです。

 これは家の表札です。マルタの場合は家の表札は愛称をつけてあって、その家の名前といいますか、ファミリーネームは付けないのが一般的です。たまたまここの写真を撮りにきたら、碑の近くの通りに面したこの家はブッシュという名前を付けてあって、2~3軒隣りはゴルバチョフと付けてありました。地元の人にとってはかなりインパクトがあったようです。

 文化的には、カトリック教が98%を占め、国教になっておりまして、カトリックの影響が強いところがあります。例えば、堕胎反対とかいうのを徹底してやっているようです。ただ、アラブとかノルマンとか、あるいはヨーロッパ、特にイギリスの影響を受けていますので、いろんなミックスされた文化が感じられます。人種的にもそんな感じがします。これはおそらく島であったがために、このような多様な要素を含む固有の文化を持っているのではないかと思います。

 それから、私が行った3月末から、守護聖人の祭りというのが各地で毎週週末に行われていまして、花火が好きで、花火を打ち上げて、フェスティバルをやるということで、7月頃まで続くんですね。ですから、春先から夏にかけて、シェスタ(昼寝)とフェスタ(祭り)が好きな国民だと、自分たちでそう言っています。そういう宗教関係が基礎にあって、コミュニティ活動や文化活動もこちらにぶら下がって、さらには政治的な色分けまでされてしまうという話です。

 新しいデータが手に入らなかったのですが、人口は38万5,000人(2002年)です。新しいデータが入らなかったというのは、去る5月1日のEU加盟のときのニュースでは、マルタは40万人ということになっていたので、増えたのかなと思っているのですが、私が今もっているのでは、2002年というデータが一番新しいということで、まだ40万人は達していません。ですから、那覇市と浦添市よりも人口規模は小さいというところです。ただ、面積が小さいものですから、人口密度は1,230名/k平方メートルということで、世界的には第4番目に多い。バチカンとかモナコ、シンガポールに次いで第4位だったと思います。

 人口密度がEU平均の約8倍ということで、総人口は2015年、これから約10年後には42万人までいくだろうということですが、大体40万人がピークかなという印象ですが、40万人ちょっとの人口で今後進みそうです。

 それから、人口構造は総じて若いという印象を受けますが、年齢3階級別に見ますと、年少人口が18%、沖縄は20%です。青年層になると、15歳から64歳の生産年齢人口が大体69%、沖縄が65%。65歳以上の老年人口が13%で、大体沖縄と似ていますが、それでも若干沖縄よりは少ないということで、総じて若いという感じはします。

 平均寿命も沖縄ほどではないのですが、結構長いと思っています。マルタの男性は76歳、沖縄は77歳で全国26位になりました。マルタの女性の場合は80歳で大台に乗っております。沖縄の女性は85歳です。マルタは意外と若い人が多いという印象がありますが、寿命も長いという特徴があります。

 経済の概況ですが、私が持っているデータが1972年ぐらいまでしかなくて、沖縄の復帰した頃から79年、これはちょうど英国軍が撤退する年ですが、そこまでは年平均18.6%というものすごく高い成長をしてきております。これはGDPの成長率です。独立後のマルタ経済は、高度成長をしてきたということです。

 英国軍が撤退した後の80年から85年の年平均成長率は7%台ですが、80年と83年、85年が1.2%ということで、データのイレギュラーという感じもしますが、81年と82年が10%以上、2桁の成長をしていて、81年と82年を除くと、低成長で英国軍撤退の影響が出ているという感じです。その後、86年から2001年までは7.6%ということで、これもかなり高い成長率です。年平均7.2%で成長しますと、10年間で所得は倍増しますので、高い成長率だということが言えます。ただ、2001年のテロの前後になると、平均成長率が落ち込んでいます。最近は3%ぐらい。2003年の第1四半期までのデータを見ますと、3%になっていて、テロの影響からの回復はまだみえないという印象はあります。

 マルタ経済は、基地経済といってもウエイトはそんなに大きくなく、数%ですが、基地経済がなくなったために観光、金融、交易、それから製造業に力点を置いて、自立的な産業政策を進めてきたところが特徴です。

 1人当たりGDPがドル換算で約1万3,000ドル。沖縄が同じくドル換算で2万4,000ドルです。ただし沖縄の場合は2000年です。沖縄の約半分です。私が行っているときは、1998年までのデータしかなかったのですが、あの頃は9,000ドルちょっとです。だから、ちょっと伸びてきました。

 ただ、所得水準で測ってみると、マルタの1人当たり所得は沖縄の半分ぐらいですが、物価がものすごく安くて、普通の消費税は15%を掛けていますが、食料品には全くかかりませんので、ものすごく安いです。単純計算しますと、パンとか食料品、あるいは交通、バス賃とか床屋の代金とかを円換算してみると、沖縄に比べて約3分の1から5分の1ぐらい安いというのがあって、ですから、所得水準は低いけども、実感としてはものすごく豊かさを感じるというところがあります。

 セカンドハウスを持っている人は多いようですし、車も3名で2台と言っていました。とにかく人口が40万人弱で車の台数が20万台超えていました。あるいは、ヨットを持っている人も結構いまして、そのようなストックを考えると、やっぱり豊かであるという感じはしています。

 産業構造を1972年と2002年で比べてみますと、30年間で農水産業や製造業の絶対額は大きく伸びていますが、構成比は若干落ち込んでいます。ただ、製造業のウエイトが2割以上というのはかなり大きくて、沖縄の場合は6%ぐらいですので、製造業とか農水産業などモノをつくる物的生産力はかなり強いという印象を受けます。

 特に農水産業の場合、マルタでは季節、季節の旬というのが味わえて、しかも有機栽培が多いです。ですから、消費者にとって非常によいモノを作っているというところがあります。ポテトは輸出も若干しているようですが、トマトやズッキーニのような野菜類や果物も旬が味わえます。それからぶどうも栽培してワインをつくっております。

 製造業は、軽工業が多いですが、パスタなどの麺類をつくっているのが多かったりしますけど、数年前に、テクノパークをつくって、そこで製造業を振興しようということでやっております。製造業の中では造船業が結構大きくて、ドックヤードというのがあって、造船と修理も含まれていて、それで結構ウエイトが高いです。

 卸・小売業の方は、絶対値は伸びていますが、ウエイトは落ちております。金融・保険・不動産業がぐっと伸びてきていて、72年からウエイトで言うと倍以上伸びています。公務はほぼ横ばいですが、公務員のウエイトが若干高いという印象があります。

 それから、軍事サービス業が79年までは大体6%から5%台ぐらいで推移していましたが、英軍撤退後は0になっております。現在、軍隊として約9,000名いますが、自前の軍隊は公務サービスに加えているようです。

 1980年代に入って、観光が伸びてきて、私的サービス業も倍近くまでウエイトを高めています。
マルタの農水産業と製造業の物的生産力は若干落ちていますが、それでもまだまだ健在であり、金融業、これはオフショアーバンキング、国際金融をやっていますが、かなり伸びてきています。

 その他の経済指標ですが、観光客は113万人。120万人を突破したときもありましたが、2002年は若干テロの影響も残り、113万人でした。ただ人口規模から言うと、約3倍近くの観光客が入っています。しかも、長期滞在型です。滞在日数9.3日と書いてありますが、実際は、2、3ヶ月滞在の人たちも多いです。たとえば、地元の人が持っているセカンドハウスを借りて、7月から9月にかけて長期にマルタで滞在しています。だから地元の人はそれで所得の収入源にもなります。語学(英語)を研修しながら夏の期間を暖かいマルタで過ごす人たちの場合、特にドイツとかロシアあたりから多かったです。特に若い人たちはそういうパターンが多いですね。それで、実際は9.3日よりも長く滞在しているのではないかという気がします。

 マルタ経済はどのようにして稼いでいるのかと思って、調べてみました。貿易収支は赤字です。沖縄と一緒で、モノの貿易は赤字で輸入超過しております。これを埋め合わせているのは観光と所得収支です。形の上では海外からお金を送ってもらったような形になっています。投資収益の見返りをもらったような形で所得勘定ではあがっていますが、個人の預金を運用しているというのがあって、それらが経済を支えていると思っています。ですから、マルタの方は資金運用をよくやっているということです。

 物価上昇率は2.2%と出ていますが、あまり物価が高いという印象はありません。

 それから、失業率は5.2%ですが、ただ仕事を1人で2つ、3つ持っているというのが結構あるようです。ですから、統計上ちゃんと把握されているのかという印象もあります。ただ、日本だけがある意味では特殊かもしれませんが、アメリカなどのように労働者の流動性が高いと、失業率は高くなります。

 沖縄の失業率も3%以下に下がることはまずありませんが、たとえば沖縄の失業率が5%台なら、かなり景気がいい状態に入っていると見ていいです。

 観光収入は貿易赤字の1.8億リリぐらい占めています。この写真はフリーポートです。先ほどの冷戦終結の碑があったところの右側奥にフリーポートがあって、中も見せてもらいましたが、中継貿易をやっております。そこを拠点に、再輸出が結構なされております。

 沖縄でもフリーポートの創設に向けて国際入札をするという記事が新聞に載っていましたが、沖縄でのフリーポート構想は無理だと思います。外国から持ってきて、積み替えして再輸出するというのは、沖縄の場合は立地条件的には難しい。近くに釜山とか大連とか上海、あるいは香港、そういった実績のある国際貿易港がありますので、沖縄の場合は難しいと思いますが、マルタにはフリーポートが機能しています。

 カジノは3カ所あります。いずれもホテルの敷地の中にあります。私が行ってからそのうちの1箇所、これは地元外の資本ですが、イタリア系の資本が1つ入ってきました。

 カジノの問題点はここで議論されているような社会的・教育的問題も指摘されていますが、マルタのカジノには地元の人も入れます。IDを出せば18歳以上は入れますが、若者がずっと入り浸ってまともな仕事をしないので、よろしくないという批判をしている人がいました。

 さて、経済自立の定義ですが、私は以下のように定義しております。自立の議論は随分前にされていますが、どちらかある側面だけをとって、例えば貿易収支が赤字だと、対外収支をよくしていくのが自立であると主張する人もいますし、あるいは失業率を下げいくことであるとか、あるいは財政依存度を下げていくことであるとか、いろんな言い方がされていますが、どうも一面だけを強調しているような印象があって、私はこれらをマクロ的に捉えて、6つの側面から自立を定義してみました。

 基本は、外部需要、外部の事業に依存しているというのが、例えば沖縄の場合は基地であったり財政であったり、今の観光も外部需要になっておりまして、これら3Kといわれるものに依存している沖縄経済というのは、やっぱりまだ自立してないということが言えます。3Kから脱却して、対外競争力をつけて、物的生産力を高めていけば、当然に失業率も改善されますし、内外の経済格差も是正されます。経済自立とは、環境との調和の中で、経済、社会、文化等が個性的に持続発展していくプロセスであると定義できます。

 ところで、例えば失業がどこまで改善して、あるいは財政依存度がどこまできたら自立と判断するかということがありますが、どの水準が自立の水準かという一般的な基準はありません。ただ、全部の自立指標を、私は6つつくってありますが、これらの指標を見て、改善されていく傾向があれば自立に向かっていると言っていいですし、あるいは逆に下がっていけば自立に反して依存度が高くなっているといえます。

 きょうは具体的なデータを示しませんが、沖縄の場合、残念ながら、最近は自立指標が下向きになってしまって、財政依存度などは高まるという形で、自立の方向とは逆の方向に進んでいます。自立は、このようなプロセスとしてとらえていきたいということです。

 2001年にマルタだけでなくコルシカにも寄って、イギリスのマン島にも行きました。行って感じたのは、私は経済の「自立」をどのように達成しているのかを調べてみましたが、自立には「自律」が必要であるということを実感してきました。「自立」はインディペンデンスですが、経済的にひとり立ちすることと解釈しています。この側面は、産業振興を図ると税収が増えますし、地域活性化につながります。他の何もの、外部需要に依存しないで経済自立をすることが大切です。

 このためには、「自律」が必要です。自律の訳はセルフ・ガバナンスのほうがいいと思っています。沖縄について言えば、沖縄の経済社会の熟度、あるいは発展段階に合わせた制度設計を自らの手で行うことです。スライドには地域自治と書いてありますが、分権あるいは自治権を獲得する必要があるのではないでしょうか。そうしないと、その地域に合った産業振興策などは設計できません。

 この例を沖縄に関して挙げれば、復帰特別措置の大部分がそうでしたし、今あるフリーゾーンの制度がそうですね。金融特区の制度もそうです。そういった制度が沖縄の特性に合っていない、あるいは沖縄が目指している、要望しているものに沿っていないということに、自分で設計できない限界が出てきている。制度が死に体になっていて、沖縄振興策の成果が期待された通りには実現されていないというのが実態です。その背景には、本則に風穴を開けないという、官僚の生態があります。

 ということで、次にマン島をご紹介します。イギリスの中部の西海上にあって、面積は大きいです。人口は7万人ちょっと。しかし、人口密度は低いです。こちらは13世紀まではノルウェー王国の属領でしたが、1765年にイギリス女王の直轄属領となっています。マン島では、外交と国防・防衛は中央政府に任せて、あとは全部自分たちでやっているということを言っていました。いつからそのような自治をやっているのかと聞いたら、千年前からやっていますということでしたので、かなり長く広範な自治権が与えられているということです。

 マン島の産業は、国際金融、こちらはオフショアーバンキングですが、これがGDPの約3割を占めています。製造業や観光、農水産業もありますが、金融業を中心にして地場産業が息づいているというのがマン島産業の特徴です。

 それから、コルシカにもちょっと寄ってきました。コルシカの人口は25万人ですが、面積がものすごく大きい。地中海ではシチリア、サルデニアに次いで、3番目に大きい島です。コルシカのアイデンティティは強いという印象がありました。イタリアに近いということもあり、かつてはイタリアの領土だったということもあって、言葉とか食文化あるいは生活スタイルはイタリアにちかい印象です。

 沖縄から来たということを言ったら、沖縄は行ったことないが沖縄はいい所だそうですねという話をしていました。自分たちはフランスとイタリアのはざまに挟まって翻弄されてきたが、沖縄には独自の文化もあり、うらやましいという話をしていました。

 コルシカは山が多くて、産業が発達してないということもあって、牧畜など畜産はあるものの、これという産業がないということでしたが、近年、観光が主要産業として成長してきているということです。コルシカはパリからかなり離れているということもあって、フランス本土との経済社会的格差が大きいといわれています。

 1960年以降、アフリカあたりから労働者が入ってきたときに、いろいろトラブルが起きて、それをきっかけに自治権の拡大運動が起きたと言われています。経済社会計画をつくるときに、土地、教育、文化、環境、交通、経済開発、そういった分野でコルシカ州の権限が強められたということがありました。

 マルタ、マン島、コルシカ、そして沖縄を並べてみたとき、非常に大胆な仮説ですが、経済の「自立」と自治の「自律」は正の相関関係にあるということです。自治権の強度をヨコ軸にとって、経済の自立度をタテ軸にとったら、沖縄が一番原点に近く位置します。マルタは独立国ですので、もちろん自律を全部自分でもっていますし、完全に自立しているかどうかという問題はありますが、沖縄より自立度が高いことは否めません。自律度については、マン島はマルタほどではないが、コルシカより高い。もちろん、コルシカは沖縄より高い。もちろん、マン島にしてもコルシカにしても、自立の気概といいますか、自立していく、あるいは独立していく気概はかなり強いという印象がありました。今後、これをちゃんと検証しないといけませんが。

 話は変わります。イギリスのお札というのは、女王の肖像が入っていますし、コモンウェルスの場合も大体入っています。マン島の通貨には女王の肖像は入っていますが、これはマン島の島内だけで使える地域通貨みたいなものですが、しかし、ちゃんと刷って、真ん中に3本足のシンボルマークを入れてあります。ただ、これは島の外に行ったら通用しないということで、島を出るときにイギリスの正貨に両替しなければなりません。しかし、国家主権としての独自の通貨を発行・管理しているところに、マン島の「自律」の高さがうかがわれます。

 ついでに、マルタはコモンウェルスの1つですが、マルタの通貨には女王の肖像は入っていませんでした。もうEUに入りましたので、マルタの通貨は使いませんが。かつての通貨表示にはリリと書いてありました。マルタはおもしろくて、使うときはリリではなくポンドと称していました。10ポンドとか言っていましたが、端数の硬貨は何と呼んでいたかといいますと、10ポンド55セントとか言って、ポンドとセントを使って、自分のリリというのは使いません。日本でのマルタ解説書を見ると、リリとかリラと書いてありますが、実際地元ではポンドとセントを使っています。円換算するときは3倍くらいでした。今はもうユーロに変わっていますから、マルタ・ポンドが懐かしいです。

 余談になりますが、旅行してあちこち行ったときに残った各国の紙幣がありますので、ちょっと回してください。国際金融も講義していますので、各国のお金にちょっと興味があって見ています。主権国家の場合、通常は中央銀行が通貨を発行・管理していますが、香港の場合は民間銀行が、しかも異なる民間銀行が複数で発行しています。これは植民地だからと思っていましたが、スコットランドへ行ったら、やっぱりスコットランドでも民間の金融機関が通貨を発行していて、これはどうもイギリスの伝統ないし国内事情かもしれないという印象を受けてきました。ですから、マン島でも独自の通貨の発行が可能であったわけです。

 マルタの場合は、自立や自律との関係で、EUに加盟して国家主権の象徴である通貨や自治権について、ちょっと問題かなと思っています。私がそう思っているのは、一つは環境に関する制度ですね。マルタの場合は、もちろんEUに加盟するために、いろいろ法整備も含めて、住民の意識も含めて、環境政策をかなり重点的にやっていましたが、そういう環境政策とか、あるいは為替の問題、これまではマルタ・リラ高にしていて、だから安いモノが外国から入ってきたという現実がありましたが、通貨は統一されましたので、物価が上がって、生活費や生産コストが上がるのではないかという懸念をもっていました。

 そのほかのEUの法律が、どういうふうにして適用されていくかということで、従来のマルタ独自の法制度とうまくかみ合わないのもあるのではないかという印象があります。これは経済の場合など、国際金融関係でそういう問題が出てきそうな気がします。

 以上、とりとめのない話になりましたが、もう少し時間をいただいて、写真がありますので、お見せします。

 マルタの場合、珍しいことに、沖縄で言うマチヤグヮ、昔あった雑貨屋、これが庶民の暮らしの中で息づいています。路地ごとにあるといっていいくらいたくさんあります。しかも品物の値段はどこでもほぼ同じです。そこは隣近所の情報交換の場でもあります。スーパーが、僕が行ったときは3つありましたが、そのうちに2つは店じまいしてしまって、1つだけ、観光客の多いところにあったのだけ1つ残っています。

 写真のこのトラックは便利な店です。野菜とか魚を売っています。この写真は野菜・果物を扱っています。魚とか、マルタではウサギを食べますが、生きたウサギとか持ってきて、道端で皮を剥がして肉を売ります。時間来たらまたさーっと引き上げていきます。これを野菜トラックと僕は呼んでいます。店舗も要らないし、市場で仕入れてそのまま持ってきて、人々に即売する。毎日来るということではなくて、1人の人が1つの地域に週2回ぐらい回ってくるのが一般的です。ですから、行商しながらやっているということで、ラベルのないファーマーズワインなども野菜トラックで安く手に入れることができます。

 この写真は、日本の会社がマルタに来ているかなと思って、行ったらそうじゃなくて、日本から来た中古の車を塗り替えしないでそのまま使っていました。これもそうですが、僕の近くの魚屋の車ですが、名古屋の営業所と書いてあるので、日本の企業の支店が来ていると思ったら、そうじゃないんですね。そうじゃなくて、ただ中古車を輸入して、塗り替えないでそのまま使っている。これは魚の仕入れの車です。大阪市衛生局と書かれたゴミ収集車もあるということでした。

 これは見ていて飽きない非常にかわいい船です。見た感じはサバニにそっくりです。地中海というと、瀬戸内海みたいに内海をイメージしていましたが、マグロが回遊してくる大海ですし、ストームというのがあって、結構波は高いです。だから、こんな船じゃないと波を切って進めないということです。サバニによく似た構造をしていて、しかしどの船にも目がついています。このように目がついていますが、魔除けだそうです。魔除けのために目を書き入れているということです。カトリック教徒ですが、俗信的なところもあります。この写真からわかるように、こんなにヨットがたくさんあります。もちろん外国の人が持っているのもあります。

 代わっての写真はコルシカですが、ホットスパーがこちらにあると思ったほど。コルシカでも、さっきのマン島でも、スーパーは大体こんな形をしています。

 次の写真はナポレオンの立像です。ものすごく高いところにナポレオンの像がありまして、ずっと下のグラウンドでは地元のおじいちゃんたちがボール・ゲームをしていました。

 以上、ご静聴ありがとうございました。後でご質問なりをお願いします。




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